2019年12月31日

2019年も大変お世話になりました!

おかげさまで株式会社ファインは無事に2019年の業務を終了することができました。
本年も大変お世話になりました。

大晦日は例年、おせち料理をおつくりするので仕出し一茶を中心にバタバタです。
なんとかご迷惑をお掛けせずにお渡しすることができました。

判田台会館・備庵がいただくご葬儀依頼数も年を追うごとに前年を上回りながら推移しています。
2019年は備庵【判田台会館】・備庵【豊後大野・みえ】を新設することができました。
ご依頼は増えていますが、一組一組、ご家族ごとにお手伝いさせていただく感謝を忘れてはならないと肝に銘じております。
特に今年「さみしい年越し」を迎えられる方々もおられることに想いを巡らせながら年末年始を過ごしたいと思います。

また、明日からも判田台会館・備庵ともに通常業務でご対応させていただきます。
事前のご相談も複数ご予約いただいております。
帰省された機会などを利用してご来館されるようです。
大分市・別府市・豊後大野市の各会館ともに電話予約をいただければご対応できますので、お申し付けください。

来年も株式会社ファインへの変わらぬご愛顧をよろしくお願いいたします。
それでは、良いお年をお迎えください。

20190614_soudan.jpg

ファインのお葬式

株式会社ファイン

●判田台会館コールセンター
 0120-45-1357

家族葬の判田台会館
 大分県大分市判田台北4丁目1-3
097-597-4813

●備庵コールセンター
 0120-01-8768

家族葬の備庵【牧・下郡】
 大分県大分市下郡1686-2
 097-547-7995

家族葬の備庵【山津】
 大分県大分市山津町2丁目5-6
 097-578-9494

家族葬の備庵【別府・船小路町】
 大分県別府市船小路町4-6
 0977-76-5618

家族葬の備庵【別府・堀田】
 大分県別府市堀田7-1
 0977-75-8768

家族葬の備庵【豊後大野・みえ】
 大分県豊後大野市三重町菅生1652−1
 0120-06-1357


2019年12月21日

京都・直七法衣店さんで座談会「これからの寺や住職との付き合い方」

いつも多彩なテーマでイベントを開催している京都・直七法衣店さんに行ってきました!
昨日行われた直七座談会のタイトルは「未来の住職塾塾長 松本紹圭氏と語り合う これからの寺や住職との付き合い方」。

78372619_2854999977877833_7995691919176892416_o.jpg

非常に興味のある内容でしたし、数年前から講師の松本さんに一度お話を聞いてみたいと思っていました。
そこで、わがままを言って急遽、京都行きを決めました!

今回のイベントは松本さんが話題提供した後、質問タイム。
その後、僧侶の方と一般の方でグループディスカッションし、チームごとに発表する時間もありました。
最後は松本さんの総括で終了。
イベント後、松本さんに直接確認したかったこともうかがえて満足です!

松本さんは大分政経懇話会でも講演されています。
テンプルモーニングは大分合同新聞でも紹介されています。

IMG_2578.JPG

【写真が横で申し訳ありません。修正を試みてます → できました!】

主催者でもあり会場でもある直七法衣店さん。
https://naoshichi-kyoto.jp
多彩なゲストを招いたトークイベントなどで、宗教者と一般の方をつなぐ橋渡し役となられています。
私たちも見習っていきたいです。

ただ個人的な反省も。。。
きのう持参したお土産が南蛮菓「ざびえる」。
檀家制度とキリシタンの関連についてのお話もあり、参加された方も笑っていました。。。

S__19136581.jpg

そして今朝は6時から西本願寺の晨朝勤行へ。

S__19152901.jpg

IMG_6132.JPG

中座して、7時には西山別院へ。

IMG_6138.JPG

S__19152904.jpg

以下、折角なのでメモを書き記します。

松本紹圭氏 浄土真宗本願寺派僧侶
東京・光明寺に所属
寺生まれではなかった。北海道出身。大学進学で上京。
「坊さんの道楽でしょ」と思われがちだが、開業届を出し法人登記した。
フリーランス僧侶で主な仕事は講演・執筆
あえて、そういう立場がいいかな
2、3回は寺の就職の誘いもあったが、住職にならずにきた
宗派を超えた学びの場、お坊さんのための駆け込み寺を作った
住職は寺の社長、住職はやることがたくさんあるので
自分自身がお寺の住職じゃないからこそ、みんなが集まって学び合う機会がつくれた
未来の住職塾はネクスト:バージョンアップしている
通算8年目で600名が修了
塾で一年間学んだ後も、継続して研修できる仕組み
最近は海外での取り組みが増えている
仏教だけではなく、世界の宗教にとって重要と認識されている
お寺・宗教法人・宗教組織をよくしていこう
次世代につなげていくことは大事だね、ということ。
ヤンググローバルリーダー
いろんな分野の専門家が集まり、リーダーシップを発揮する場に招かれている

未来の住職塾
共通のテーマで集うと仲間になれる
マネジメント
仏教で集うと仲間になれない
共通テーマを設定すると垣根が取れる。深い会話ができる
「友達になる」
何にもなく集まると「ウチが正しい」「ウチが最高」という域から出ずに単なる名刺交換で終わる
同じ釜の飯を食う感覚で仲良くなる
他宗の教義を学びあったりできる
宗教者の悩み:後継
宗教組織側:どこの宗教も信者さんが減っているのが悩み、本部の硬直化
街に出て交流してみると宗教を求めているというか、心病んでいる人も多い
この時代に生まれた私をどう捉えたらいいか、私の人生をどう捉えて、どう心を整えていけば良いのか考えたり、悩んでいる人は多い

アメリカ
心を耕したいが、宗教熱心ではない
spiritual but not religious
宗教団体に所属したくない人が増えている
宗教団体・宗教者側は心をよくしたいという担い手になりたいが、なれていない
宗教性・宗教的感性を求める傾向にあるが、その参照先に既存の宗教がなれていない
既存の宗教、伝統宗教が機能していない
仏教もキリスト教の教会も直面している
Religion レリジョン:世界の宗教は終わりつつある
何か違う形でこれからの人と繋がっていかなければいけない
もし繋がれなければ不幸
どうやってトランジション、いい形で次の時代に着地させる
自分は宗教の内部にいるから内部から変える
もちろん外から変えることも大事

これからの付き合い方
たくさんの普通のお寺の住職と接してきた

ポストレリジョン Post-religionがキーワード
築地本願寺:築地本願寺倶楽部
檀家とは、信仰とは
そもそも檀家制度も信仰が起点ではない
キリシタンの嫌疑がかけられるため、キリシタンじゃないことを証明する必要があった
現在の檀家制度はお坊さん自身も混乱している
いろんなところの檀家になるのは違う:家の宗教→レリジョン的

宗派は故郷
生まれた家は北海道、今は東京に住んでいる。住む場所は「必ず北海道でなければいけない」わけではない
故郷的に大事にすればいい
居心地が良ければそのまま住み続ければいいだけのこと。宗派を変えることもそこまでの重大さ、重さで考える必要はないのでは

檀家で1対1の対応でやっていかないといけないと考えるのもレリジョン的
宗教の掛け持ちを縛ると一神教的なレリジョン
レリジョンを宗教と訳したのは福沢諭吉
それ以前は神社にもいくし、寺にもいく。今でもそう
「絶対に私はここなんだ」ということがあったわけではない
かつての坊さんは八宗兼学
いろんな宗派を横断的に学んでいた
今は硬直化、レリジョン化しているために
「めんどくさい、縛られたくない」と嫌われている
例えば「あそこのお寺いいな」と思っても「オタクは〇〇の檀家ですよね」と断られる
そのことが「ややこしい、そういうものなのか、息苦しい世界、だったらもういいわ、自分で本でも読んで勉強するわ」の流れになっている
築地本願寺倶楽部は築地本願寺は本山直轄寺院にも関わらず、
檀家制度とは違った形での、ゆるやかな会員制度を作ろうとしている
その中心には永代供養墓・合同墓
年会費無料、入会金無料の単なる情報サービス
いろんな案内が来たり、カルチャーセンターに通えるサービス
他宗の信者の入会も可能で敷居を下げる、誰でも入れるようにしている
浄土真宗本願寺派の教義を信仰する人ではなく、尊重する人ならOK
これは普通に考えたら真っ当なこと

ポストレリジョン的
「やめてきてください」ではない、掛け持ちOKの世界観
自分の興味関心によって、その時々で出入りする
あっちを捨てて、こっちを選ぶのではない

宗教とは何か?
いろんな答え方があるが、一つ視点を変える見方として信仰という言葉がある
みんな「信仰、信仰」というが、ほとんどが習慣なのではないのか
習慣あってこその信仰、習慣なくして信仰なし
信仰を議論するのは不毛
東京ジャーミイというモスクがあってムスリムによると「信仰は味わい」のようなものという
「甘いですよ」「甘いんですね」ということはわかっても、本当の味は分からない
レシピだけ見ても味がわからないのと一緒で、信仰の深さを議論するのは、どこまでいっても不毛は不毛
信仰の中身を論じるのは難しいが、日々の生活の中で何を持っているのか
毎朝起きて仏壇に向かうことこそ信仰、宗教
習慣の共有、宗教文化としてコミュニティーで共有されているもの

築地本願寺倶楽部は築地本願寺のコミュニティーということで、その中心には阿弥陀様がいらっしゃる
その人の目には全く入っていないのだがという発想もできる

お坊さんは即物的で、すぐに結果を求める人もいる
今日の私と明日の私は気持ちも揺れ動いて、浄土真宗的にいうと「全くあてにならない私」である
その人が築地本願寺にくる動機は阿弥陀様に一直線の人もいる
もちろん、カフェの朝食メインの人もいる
カフェ目的の人は、今は世に言う信仰心は限りなくゼロだが、「人生100年時代」を迎え、人生にはいろんな局面がある
いろんな苦しみ、愛別離苦であったり心境は変化する
今までそう言う関係ではなかったが、それがきっかけに宗教と結びつくこともある

また、お寺とは良き習慣の道場である
わたし自身が坊さんとして活動する中で、そう捉えたらいいのか?
「私が生きているこの世界にお寺でない場所はない。全ての場所が寺で、出会う人すべてが檀家」

そう考えると外も内もない
浄土真宗的には「阿弥陀様は生きとし生けるものに常にはたらいてくださっている。働いていない場所はない」
「ここまでが信仰のコミュニティーで、ここからは俗なものである」と言うことはどこまでいっても言えない


テンプルモーニング:聖地
寺院はずっと昔から多くの人が祈りを捧げてきた、みんなの聖地
この場所が私の聖地という感覚が芽生えてくる
掃除地獄:私が掃除をするところはすべて聖地だということ
世界そのものを聖なるものと捉えていく
「私が生きているこの世界、そして人の縁、全てがいただきもののご縁であると受け取っていくことは信仰というより宗教的な生き方」
いきなりその域には到達できない。
なので、象徴的な場所としてのお寺、そこに紐づくコミュニティーがゲートになっていくイメージ

新しい宗教を作ることほどつまらないことはない
それをずっと繰り返してきたから
アナザーレリジョンではなく、今までのレリジョンでは捉えられなかったところに、みんなの気持ちが向きつつある
そこは宗教性がなくなったわけでも、新しい宗教というわけでもない
新しい形での宗教性の表現、味わい方、コミュニティーの作られ方に目を向ける必要がある

住職塾
いろんな宗派はあれども
お寺自体が次の世代につなげていく使命
お寺が要か不要かの議論もある
しかし、それは私という限られた目線で思っていることに過ぎない
他の人から見たら違うかもしれないし、次の世代の人にとって必要かもしれない
なので、できる限りの努力はしていきたい

敷居が高い、低い云々よりも用がなかったらお寺にはいかない
カフェ、マルシェでもOK
「用がないのがお寺の用」とも言えるが、それをお坊さんがお寺の中で言っていても始まらない
布教とは「つたえること」だけでなく「つながること」
つながること自体が大切
なんであれ、つながっていくことにはシンプルであるべき
掃除は宗派関係なくできる
どんな人の生活の中にも関係のあること
私はテンプルモーニングは掃除の会と言いながら
最初の15分で正信偈をお勤め、掃除して、お茶しながらお話しして1時間の構成
「どんなお寺でもできることって何かな」と考えた時に掃除・お経
どんな住職であっても、やる気さえあれば出来る
通夜や葬儀、法要など寺のスケジュールは予定が立てにくいが、朝だけはフリータイム
お寺の朝は清々しい
イベントたくさんやればいい訳ではない
なるべくやらないで済むならやらない方がいいと思っている
やりたくなる時期もあるだろうから、ひとしきり行えばいいが結構疲れる
お寺は年中、葬儀や行事の準備に追われているのに新しいことをやるのは大変
やってから気づく。普段やってきたことに価値があると気づく

朝のお勤めをSNSで呼びかけてみたのがテンプルモーニング
報恩講いろんなやり方がある
触れてなかった人にも大きな価値がある
知らなかったので価値を享受できていなかった
つながりさえすれば、味わっていただけることはある
燃え尽きず、続けることが大事
あれこれやって、シッチャカメッチャカに
テンプルモーニングも一人も来ないことがある
誰も来なくても「自分が参加しているじゃないか」という気持ちでやっていく
大事なことをキチッと続けていく

未来の住職塾は「マネジメント」「リーダーシップ」とかカタカナを使う
それが琴線に響く人もいれば、「何でお寺でそんなことを」という人もいる
違う世界の言葉を持ち込んでくる、異質な概念に触れることはお坊さんにとって必要なこと
あまりにも固定化されたムラ社会に居すぎるとムラの言葉だけで何か伝わったような気になる
「水も流れないと腐ってくるのと一緒」自家中毒状態になっていく
どうやって違う流れを入れながら、それに触れつつ、今まで使ってきた言葉や大事にしてきた習慣をリフレッシュしていく
それは形を変えるということではなく、捉え方の違い
いかに新鮮な気持ちで取り組むかがポイント

マネジメント、リーダーシップなど知識やテクニックで何とかなることは本質的なことではないし、大したことではない
でも、大したことないことで、知識やテクニックで何とかなるのなら、さっさと行動すればいい
その上で、信仰や宗教、宗教者として本当に大切なことに力を入れて、気長に腰を据えてやっていく

浄土真宗は御同行・御同朋という言葉があり、お坊さんだけでなく念仏をいただく人は仲間のコミュニティー
それをやっていこうと考えている

ファインのお葬式

株式会社ファイン

●判田台会館コールセンター
 0120-45-1357

家族葬の判田台会館
 大分県大分市判田台北4丁目1-3
097-597-4813

●備庵コールセンター
 0120-01-8768

家族葬の備庵【牧・下郡】
 大分県大分市下郡1686-2
 097-547-7995

家族葬の備庵【山津】
 大分県大分市山津町2丁目5-6
 097-578-9494

家族葬の備庵【別府・船小路町】
 大分県別府市船小路町4-6
 0977-76-5618

家族葬の備庵【別府・堀田】
 大分県別府市堀田7-1
 0977-75-8768

家族葬の備庵【豊後大野・みえ】
 大分県豊後大野市三重町菅生1652−1
 0120-06-1357


2019年12月 3日

介護老人保健施設での終活セミナーに講師を派遣しました!

終活セミナーのご依頼をいただき、大分市松岡にある介護老人保健施設やすらぎ苑さんに行って参りました。
今回お伺いさせていただいたのは上級終活カウンセラー資格を持つ安田笑子さんです。
とても勉強熱心でファイナンシャルプランナーや宅地建物取引士など多くの資格を取得しています。
2日間にわたってお話ししてきた内容をご紹介します!

S__10289171.jpg

デイサービスに通っていらっしゃる要支援の80代から90代の方が多く、みなさんとてもお元気でした。
「みなさん優しい方ばかりなんですよ。」との主任さんの言葉通り、優しい笑顔の方たちと30分という短い時間ではありますが、楽しい時間を過ごすことが出来ました。
「終活」と言っても暗いとか難しいイメージでいらっしゃるかも?と思い、まずは口の体操や指先を使った遊びなどで和んでいただきました。
それから終活やエンディングノートについてのお話をさせていただきました。
終活と言っても、みなさん良く分からないとのこと。
何からしたら良いのか?との質問もあり、まずはエンディングノートを書いてみてはどうでしょうか?とエンディングノートを書くことによりどのような良いことがあるか、どのような事が得られるかについて話してみました。
①「終活」をスタートするきっかけになる
何から始めたらよいのかわからないという方は、まずエンディングノートを書いてみると良いのではないでしょうか。一人で書くことや考えるのが難しいときは子供さんなどと話しながら書いてみるのもよいでしょう。
②書くことで頭の中が整理できる
漠然と考えていたことがはっきりする。自分の気持ちに向き合う大切な機会になる。
③万一のことがあったときに自分も家族も助かる
話をすることだけでなく、「紙に書きのこす」ことで言葉だけではわかりにくい自分の希望を伝えることができる。
④将来に備えることで「いま」を安心して過ごせる
「漠然とした不安」やこの先の「心配事」に向き合い、それに備えておくと準備しているという安心感をもつことができる。
また、エンディングノートには法的な効果がないことや家族との話をするキッカケづくりが出来ることなどお伝えしました。
また、書く時のポイントとして
①どこから書いても良い
②書き直しても良い
③記入した日付を書いておく
④書いたことや保管場所を信頼できる人に伝えておく
こともお伝えしました。
それから、みなさん歌が好きだとの事でしたので、お誕生日の方にみんなでハッピーバースデイを歌いました。
そして最後にみなさんに言葉のプレゼントとして"和顔愛語(わげんあいご)"の話をさせていただきました。ほとんどの方が初めて聞く言葉だとのことでしたが、みなさんの笑顔を見ていると日々、和顔愛語で過ごされているんだなあと感じました。
2日間訪問させていただき、みなさんと楽しい時間を過ごしました。
また来年もみなさんに会えるのを楽しみにしています。

ファインのお葬式

株式会社ファイン

●判田台会館コールセンター
 0120-45-1357

家族葬の判田台会館
 大分県大分市判田台北4丁目1-3
097-597-4813

●備庵コールセンター
 0120-01-8768

家族葬の備庵【牧・下郡】
 大分県大分市下郡1686-2
 097-547-7995

家族葬の備庵【山津】
 大分県大分市山津町2丁目5-6
 097-578-9494

家族葬の備庵【別府・船小路町】
 大分県別府市船小路町4-6
 0977-76-5618

家族葬の備庵【別府・堀田】
 大分県別府市堀田7-1
 0977-75-8768

家族葬の備庵【豊後大野・みえ】
 大分県豊後大野市三重町菅生1652−1
 0120-06-1357

2019年12月 1日

別府市市民公開講座「『人生会議をご存知ですか?』に行ってきました!

別府市市民公開講座「『人生会議をご存知ですか?』〜自宅や住み慣れた地域で最後まで過ごすために〜」が別府市役所で開催されたので参加してきました。

主催は大分県と別府市でした。
「自宅で受けられる医療や介護サービスについて学び、ご自身やご家族の人生の最終段階について考える」との趣旨で3名の講師が事例を紹介しました。

在宅医療の実際がよくわかる内容でした。
また、このような機会があれば参加してご報告したいと思います。

20191130.jpg

以下はザッとメモした内容です。

第1部は日田市の隈診療所:宮崎秀人医師
暗い話をするのは、今日笑って過ごすため。
午前中外来、午後往診で日々過ごしている。
年齢を重ねるとだんだん食事が入らなくなる。
体の電池が切れる。食べたくなくなる。
筋肉がなくなる。坂道降りるように右肩下がり。
人間は死亡率100パーセント。
100歳以上の人をセンテナリアンという。

96歳女性老衰のケース。
一ヶ月でだんだん弱っていく。
自然ぜいめい。痰が絡むような。
最後は在宅酸素など器械をつなぐ。
尊厳死協会・平成九年に延命治療をしないと自分で決めていた。

瀬戸内寂聴のように人生を語れないが、人の死や生の最期に触れている。
なぜ、人生会議?
7割が死の瞬間には想いを伝えられない。
3%の人だけ書面に残している。

3人に一人がガンで亡くなる時代
ガンは自分で段々と弱っていくのがわかる。
人生の奇跡:事故死・がん・老衰・臓器不全
人生会議といっても人によって多様である。
全てが同じの一本ではない。

厚労省:ACP:1年以内になくなる可能性=人生会議:1年前より大きな概念
医療者向けのガイドライン:難しい→人生会議:ステップを設定
ネットでもできるチャック項目式

リビングウィル=生前意思
神戸大学木澤教授
人生会議はいつ始めるか?いま!すぐ!
病気になってからよりも元気な時から考える。
考えが屈折していなくて素直に考えられる。

ステップ1:大切にしているものを考える!
最後の瞬間だけ考えるのではダメ!そこまで生きている。
「死ぬまで生きてる」死ぬ時のことを考えておけば、生きている時間がかけがいのないものだと気づく。
例)家族、仕事、友人、ペット痛みや苦しみがないこと、人として扱われること

ステップ2:希望する治療やケアを考える
知らないから難しい→医療者から教えてもらうしかない
こんなのが良いな。こんなのは嫌だな。
「最後まで管がたくさん入って生きていくことが嫌だな」とか想像してみる。

死ぬほど痛くても大切なものがあるから我慢する。
逆に命は短くても痛みは避けたい。
命より大切なものがあるか?

信頼できる人は誰ですか?
信頼できる人に伝えないといけない。
きっちり明確に想いを残す。

主治医に質問してみよう。
主治医への質問が難しい。
薬の説明、効用、副作用などを知っておく。
聞きたいことをメモして少しずつ確認していく。
病気の経過、余命について知りたいですか?
宮崎医師は余命を2回聞かれたら、嘘をつかずに答える。
知りたくない人もいる→だが、教えてもらえないという苦悩が残る

ステップ4:話し合いましょう
延命治療ってなんだろう?
延命治療の定義は状態、場所、環境によって異なる

胃ろう造設は大分県が多い

ステップ5:伝えましょう
ノートを作ることがゴールではない
気持ちは変わってくる。常に変更していく。
それをチームで共有していく。
85歳を過ぎたら人生はおまけ。

往診:希望した人の家で診察
訪問診療:定期的に訪問する→在宅医療
在宅死15%うち10%は不審死。
生活に軸足を置いた在宅医療を目指す

症例紹介
麻薬・肺炎・朝晩抗生物質を点滴・麻酔で鎮静・家族が感謝の言葉
自分で決めて実行
家族も肯定して、「ありがとう」家族のために頑張るんだ。
充実感・達成感が残った。

認知症が進行〈アパシー〉最後まで
最終的に家族が決めたこと

やんちゃなおじいちゃん
最後に点滴を家族が望んだら受け入れるしかない

生前意思を貫くことは難しい。
家族が望めば医療行為をする。
しかし、自分で決めていないことだけが引っかかる

在宅医療での人生会議
寄り添ったり、ハーモニカを吹いたり、一緒に生きている。
生きている時間を大切に使う。

自分のあるべき方向を見据えながら望みを持っていく。
最後まで希望を捨てない在宅医療もある。

看取りはこわくない
生きてて死ぬだけ。化けて出てくるわけではない。
見殺す。ちゃんと看取る信念が込められている。

枯れていくような慢性的な脱水は気持ちいい。
万が一、苦しい時は投薬。

人生を笑いながら楽しく生きる。
最後の瞬間を考えることは、今まで生きてきたものに規定される。
生き方は逝き方。
自分の最後のためにも大切

緩和ケア病棟3カ月で出ないといけないケースも。
自宅での看取りは横ばい、施設での看取りは年々増加している。
年間60名の死亡診断書を書いている。

願い、祈り、想いなども大切。
目に見えないものも人間を生かしている。
誰かに救われていく感覚。
ハイテクな医療でも高度なものでもないが通じ合うものがあればという想い。


第2部は小野朱美:湯のまち訪問介護ステーション〈南立石〉
暮らしの保健室:看護師11名 事務職1名
地区老人会:健康教室・文化祭で健康相談
なぜ今?人生会議
自分自身で考える。
命の危険の迫った段階だと難しい。日頃から考えていくことが大切。
後にならないと分からない。
折に触れてお話ししていく。
退院支援:話し合いメンバー
病院:安心して帰れるように
ある程度治療が終わったら退院しないといけない。

地域包括ケアシステムの推進

訪問看護:365日24時間体制
地域住民・知人の声掛けで孤立感を和らげることもできる。

最後は過去にご家族を看取られたご家族が事例と想いを語って終了しました。

ファインのお葬式

株式会社ファイン

●判田台会館コールセンター
 0120-45-1357

家族葬の判田台会館
 大分県大分市判田台北4丁目1-3
097-597-4813

●備庵コールセンター
 0120-01-8768

家族葬の備庵【牧・下郡】
 大分県大分市下郡1686-2
 097-547-7995

家族葬の備庵【山津】
 大分県大分市山津町2丁目5-6
 097-578-9494

家族葬の備庵【別府・船小路町】
 大分県別府市船小路町4-6
 0977-76-5618

家族葬の備庵【別府・堀田】
 大分県別府市堀田7-1
 0977-75-8768

家族葬の備庵【豊後大野・みえ】
 大分県豊後大野市三重町菅生1652−1
 0120-06-1357